『STUDIO Tea talk』に背中を押されて複業に挑戦  小柳津仁さん

emCAMPUS STUDIO で、起業家やフリーランスとして活躍する方々の体験談をご披露いただくトークイベント『STUDIO Tea talk』。
「参加者のみなさんのチャレンジを後押ししたい」という思いで企画してきましたが、おひとりから「(STUDIO Tea talkのおかげで)一歩を踏み出すことにしました」とご報告いただきました。 その方は、新城市在住の小柳津 仁さん(37)です。

▲小柳津仁さん

小柳津さんは昨年6月のイベント参加後、構想に10年以上をかけた『和紙のキッズメジャー』の販売を開始しました。
製品に使われている“和紙”は、岐阜県飛騨市で800年の歴史がある手漉きの山中和紙。
今年の5月からは飛騨市の地域おこし協力隊として活動を始めるという小柳津さんに、今回の挑戦への軌跡と思いを語ってもらいました。

▲子どもたちの名前や年齢が記録された『和紙のキッズメジャー』

山中和紙のざらざらとした手触りから伝わってくるあたたかな風合い。
ここに残すのは、子どもたちの成長記録です。
小柳津さんが和紙を巻く柄(え)や壁にかけるための紐を取り付けるなどして、丁寧に手作業で加工しています。
和紙のキッズメジャーの大きさは横14.8センチ、縦120センチ。
床からの高さに合わせて壁にかけ、66~158センチまで1センチごとに目盛りが印刷されています。
かつては木造民家の柱で子供たちが背比べの痕を刻んでいましたが、現代ではライフスタイルが変化。
小柳津さんは「成長の記録を残せて、持ち運びができるものをつくりたい」と考えました。 普段はくるくると巻いて保管し、出番がきたときは広げて壁にかけます。

▲使わないときは巻いて木箱の中に保管します

和紙のキッズメジャーがあれば、ここに記した思い出も一緒に移動でき、孫も、その先の未来に生きる子どもたちの成長も記すことができます。
脈々と引き継がれてきた和紙に家族の歴史をつむいでいく。
それによって、和紙が「未来を生きる人たちの生活のなかにもありますように」との願いも込めています。

「民俗学的にすごい」和紙との出合い

小柳津さんがこの製品を思いついたのは、10年ほど前、大学時代の男友達へ出産祝いを贈るときでした。大学時代を過ごした京都の和紙店に足を運んで購入し、手作りしました。
「当時は和紙のことを詳しく知らず、価格帯に合うものを買い、見よう見まねで作りました」
知らなかったからこそ、思いがけずに出合った和紙に興味を持ったという小柳津さん。
お店の人から、「京都の黒谷和紙の職人さんで面白い人がいるよ」と聞いて会いに行き、そこで和紙のすごさを知りました。

それまで和紙のイメージにあったのは、漠然と“漉く”ということだけでした。
「技術に焦点を当てられがちだけれど、民俗学的にすごいものだと感じました」と小柳津さん。

主原料のコウゾを栽培するのに適した場所であることや、漉くときの水が軟水で、年中10度以下であることなど、材料となる植物や水質・気温などの環境が整っているからこそ、良質な和紙ができます。

和紙漉きはもともと農閑期の冬場の仕事でした。
生業にするため、地元にあるもので形にしてきた背景があります。

▲コウゾを雪の上に並べて、自然漂白する「雪ざらし」。飛騨市の冬の風物詩です

運命を変える、山中和紙職人との出会い

小柳津さんが、今は亡き山中和紙職人の柏木一枝さんと出会ったのは2011年。
岐阜県高山市への移住後、地元の帽子作家さんから「飛騨にも和紙職人がいるよ」と聞き、紹介されたのが柏木さんでした。

▲小柳津さん(左)と柏木一枝さん(右)

初めて会ったときの印象は、小柄なかわいいおばあちゃん。
愛想がよくておしゃべり、そして親切。
小柳津さんが原料について聞いてみると、柏木さんはこと細かに説明してくれました。
そのときの出会いから柏木さんが亡くなる2022年12月までの10年以上、交流を続けました。
小柳津さんがふらっと会いにいけば、うれしそうに笑顔で迎えてくれる柏木さん。
「最近、どう?」
毎回、和紙を買いにいくわけではなく、柏木さんからたずねられる質問に答えるのがお決まり。
小柳津さんの仕事のこと、飛騨市の話、観光客について、柏木さんの住む河合町のことなど、徒然なるままに会話をしました。
引っ越しをした後、久しぶりに会いにいくと「どうしとったか。心配しとったよ」と安心した表情で出迎え、温かいインスタントコーヒーを淹れてくれました。 小柳津さんは「お互い気を使わない関係で、年の離れた友人のようでした」と柏木さんを偲びます。

山中和紙にこだわる理由

柏木さんが放った、いちばん印象的な言葉があります。
「間違ったことをしとらんかったら、堂々としていられる」
小柳津さんは「間違ったことをしていないと言い切るすごさ」に衝撃を受けました。
柏木さんのご主人は病気がちで、家族の生計を立てるために自ら和紙漉きを始めました。
もともと「儲からない」と和紙職人に嫁ぐことをあまり理解してもらえず、さらに「女性に和紙職人ができるわけない」と言われたこともあったそうです。
それでも「子どもを支えていく」という強い思いで、誠実に古くから伝わる和紙づくりを続けてきました。 そんな苦労を重ねた柏木さんが晩年、口にしたのは「ずっと信じてやってきて、健康でいれる、お客さんがいる。ありがたてぇなぁ」。

▲山中和紙を漉く柏木一枝さん

小柳津さんは柏木さんを和紙職人として以上に、人間として魅力を感じていました。
「山中和紙ではなくてもいい和紙ってあるんです。でも、僕はこの人が残した和紙じゃないと使いたくない」
はっきりと、胸のなかにある思いです。

『STUDIO Tea talk』への参加

小柳津さんは柏木さんと出会い、山中和紙で作る『和紙のキッズメジャー』の構想を少しずつ固めていきました。
アイデアを具体化する一方で、事業化に必要な資金を貯めるためにも奮闘。
NPO職員をはじめ、旅館の社員など、持ち前のコミュニケーション能力や分析力を生かして懸命に働きました。

2023年2月、地元の新城市で会社員としての生活をスタート。
その年の3月と6月に『STUDIO Tea talk』、さらに emCAMPUS STUDIO が主催した副業セミナーにも参加しました。

▲昨年6月開催の『STUDIO Tea talk』でゲストの話を聞く小柳津さん(右から2人目)

参加した理由は、副業や複業(複数の本業を持つこと)でもいいから、まずは『和紙のキッズメジャー』を形にすることから始めようと思っていたからです。
それまでは「やるなら専業にしないと」と自分でハードルを上げていたといいます。
6月の『STUDIO Tea talk』の自己紹介の時間に、初めて人前で『和紙のキッズメジャー』について話しました。
口に出し、そのときのゲストや参加者と話すうちに次のステップがどんどん明確に。
価格設定や販売する媒体などを決め、なんと8月には販売を開始していました。
さらに「山中和紙を紹介するのだから、産地のことも知らなければ」と毎月、飛騨市へ足を運び、地元の人たちの話を聞きに行きました。
地域に溶け込むなかで行政ともつながりができ、今年1月には飛騨市の市長を前に『和紙のキッズメジャー』を紹介する機会も到来。
市長や市職員の方々からも良い感触を得たことで気持ちが固まり、飛騨市へ移住し、地域おこし協力隊として活動しようと応募し、採用されました。

チャレンジしたいことがあるあなたへ

飛騨市では、『和紙のキッズメジャー』の作家活動だけでなく、山中和紙の販路開拓や生産工程の整理などをして職人さんをサポートする予定です。
柏木さんとの思い出が詰まった山中和紙の需要拡大のために取り組んでいきます。

▲軒下で乾燥させるコウゾの風景からも飛騨市の素朴な魅力が伝わってきます

目まぐるしい展開に小柳津さんも「気づいたらこんなことになっていました(笑)」とポツリ。
ずっとあたためていた構想を人前で話した途端、一気に時計の針が動き出したようです。
最後に、小柳津さんはこんな言葉で締めてくれました。

「やってみたら、こんなことになりました。だから、やりたいことがあるなら、やったほうが絶対にいい。これが私の実感です」

大切なのは、とにかく行動していくこと。 それこそが自分のチャレンジを後押ししてくれるはずです。

『和紙のキッズメジャー』の商品説明や購入はこちらから

編集後記

昨年6月の『STUDIO Tea talk』で、小柳津さんが口にした『和紙のキッズメジャー』のアイデア。
ゲストや参加者から「なんですぐにやらないの」と総ツッコミを受けていたあの一コマが懐かしいです。
そこから周りの方々の応援を受けながら、地道に形にしていった小柳津さん。
「STUDIO Tea talkでの出会いは私の財産です」との言葉をくださいました。
参加者のみなさんが「同じ志をもつ仲間と出会い、やりたいことや好きなことに挑戦すること」こそ、STUDIO Tea talk の目指していたものでした。
体現していただき、本当にうれしかったです。

お話しをするたびに、新たな出会いやワクワクするような構想を教えてくださる小柳津さん。
今後が楽しみでなりません。東三河から全力で応援しています!