東三河の生産者を知る!第4弾 らでぃっしゅ屋/富永光昭氏 インタビュー

emCAMPUSと関わりの深い生産者さんへのインタビュー企画第4弾は、らでぃっしゅ屋の富永光昭さんです!
富永さんは農民藝術創造俱楽部メンバーであり、豊橋市が日本一のシェアを誇るラディッシュを栽培しています。もともとは自動車業界の会社に入社し働いていましたが、先代が始めた農業を少しずつはじめ、約20年が経ちました。
今回は豊橋市の圃場にお邪魔し、富永さんのこだわりや挑戦について伺いました。

▼生産者さんインタビュー企画第1弾(鈴木農園の鈴木教広氏)の記事はコチラ!
▼生産者さんインタビュー企画第2弾(百年柿園 ベル・ファームの鈴木義弘氏)の記事はコチラ!
▼生産者さんインタビュー企画第3弾(鈴木製茶の鈴木克也氏)の記事はコチラ!

Q豊橋のラディッシュについて教えてください。

ラディッシュはカブのような見た目ですが、ダイコン属の植物です。根の直径は大きいものでも約3センチ程度とダイコンの中でも小型です。ラディッシュは時期にもよりますが、種まきから20日程度で収穫ができるため二十日大根(ハツカダイコン)とも呼ばれます。ダイコン属ということもあり、冬は甘く、夏場はピリッと辛みが際立つことが味の特徴です。見た目の特徴としては、根の部分が真っ赤な球状になっており、葉は緑色でクリスマスのような鮮やかなカラーの野菜です。
そんな中、豊橋市は生産量で全国シェア一位の60%を誇り、そのほとんどが同市大村地区で栽培されています。大村ラディッシュは葉が短いことが特徴で、玉と葉のバランスからより一層かわいらしいラディッシュになります。

Qラディッシュ栽培のこだわりについて教えてください。

ラディッシュと言えば何と言っても赤くて丸いかわいいフォルムが特徴です。形・色・ツヤにはこだわっています。本来、ダイコンなので先がトンがるのが普通ですが、水と温度の徹底管理など技術的に工夫をほどこして、丸く、みずみずしい食感になるように育てています。また、当然ではありますが、たくさんの人が食べるものだからこそ、安心・安全な作り方には気を使っています。当園では20年ほど前から有機栽培を導入しました。数年に及ぶ肥料調合のトライ&エラーを経て、現在の品質にたどり着くことができました。見た目の美しさやおいしさに、安全性をプラスしたいという気持ちで取り組んでいます。

Q現在の挑戦について教えてください。

半年前ぐらいから改めて土づくりに向き合っています。微生物とうまく付き合っていくことで土壌改造しようと挑戦しています。ラディッシュはハウスで栽培するため、1年を通して栽培が可能です。おおよそ1年で畑を6~7回転させて栽培していくのですが、微生物をいれた土は収穫後の状態がまるで違います。どの微生物が適しているのかは試行錯誤中ですが、うまくいくと収穫後でもフワフワの土が維持されます。微生物の力を借りながら、土をフワフワなコンディションに保つことで、さらにラディッシュの形・色・ツヤが良くなります。

Q今後の展望を教えてください。

1つ目は、東三河の農産物を全国に広めていきたいです。私の場合はラディッシュを育てており、この地が日本一のシェアを占めているという事実は良いキッカケになると捉えています。特産物としての力を使って、次につながる農業をめざして頑張っていきたいと思っています。そのために農民藝術創造俱楽部や、豊橋百儂人という組織に所属し、マルシェ等のイベントにも積極的に参加しています。
2つ目は、農業に従事する若い世代を育てていきたいという想いがあります。ラディッシュは重油等を使わないので、昨今の資材高騰の煽りは少ないですが、それでも新規就農となるとハウスや農機具等、初期費用は大きくかかってきます。豊橋はまだ、若い農家も多いですが、全国的にみると農家の数は減少し、特定の農家に農地が集まり、大型化していってしまっています。この東三河から全国的な流れに抗い、自分が引っ張れる部分は引っ張っていきたいと考えています。農業を魅力的にし、農業が選ばれる職業になるように取り組んでいきたいです。

Qインタビューを通して

インタビューを通して富永さんから最も強く受けた印象は使命感です。シェアNo1の産地で栽培しているということから、ラディッシュ業界全体を守るという心意気すら感じました。またラディッシュは通年収穫ができ、夏には種まきから17日で収穫ができるため、とにかく回転率の高い植物です。同じ作業が続くのかと思いきや、毎年の気候は異なるため、そのタイミングでのベストパフォーマンスが発揮できるように土づくりを始め様々な挑戦を行っているとのことです。
富永さんとの会話を通じて、何気なく出てくる言葉の節々に丁寧さやこだわりを感じました。きっと日々真摯にラディッシュと向き合っている富永さんとしては、こだわっているという認識よりも、それが当たり前の事として認識されているんだと感じました。